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長澤さんから体験記を頂きました。 私が瀬田カイロプラクティック院へ通うようになったのは2007年の秋ごろからだったと思います。 今から思えばそのころはとてもいろいろなことがあったように思います。まず、兄が離婚して子供を連れて、うちへ帰ってくることになりました。兄とは高校を卒業してからはほとんど話すことがなく苦手に思っていました。もし兄が子供と一緒にうちに帰ってくるなら、私が家を出ようと思っていたぐらいです。ただ、足の悪い母のことを思うと心配でしたし、父も毎日お酒をたくさん飲んでいたので、そのことも気になっていました。そのことで一度、兄と話をしたことがありました。そのときは私が一人で言いたいことを兄に向かって言っているだけで、兄はただ黙って聞いているだけでした。今から思えば、それは話し合いというよりは私が一方的に兄を責めて文句を言っているだけだったように思います。結局、私は家に残ることになったのですが、それからがとても大変だったように思います。兄といってもほとんど会っていなかったので、他人のように感じていましたし、私自身、子供があまり好きではなかったので、姪っ子とどう接していいのかわからなかったのです。当時4歳だった姪っ子のこともかわいいというよりは面倒な存在に思えていたので、結局私は自分の言うことをただ姪っ子に押し付けているだけになっていました。当然、姪っ子は私の言うことは聞かないし、私にすごく反発するようになりお互いにストレスだけがたまっていたようです。父も母も兄も、どこがぎこちなくてお互いに言いたいことを言わないでおいている・・・そんな感じでした。そして兄達がうちへ来て半年くらいたったときに、突然父が倒れて、1ヵ月後に亡くなってしまいました。私は、どうしてこんなに良くないことばかり起きるんだろうと思っていました。その時は私にとって、会社も楽しくないし、家も落ち着ける場所ではないし、自分の居場所がどこにもないように感じていました。今、振り返ってみると、その時の私は、私に起こるすべてのことを周りの人や環境のせいにしていました。そして、自分はこんなにがんばっているのに、なんで?と、いつも自分を正当化していたように思います。自分が周りを受け入れてないのに、周りには受け入れて欲しいと思っていたようです。もちろんその時には「感謝する気持ち」を意識することなんて全く無かったように思います。そんな自分を思い返してみると今でも少し恥ずかしい気持ちになります。 ちょうどそのころ、趣味でカヤックを始めていたので、週末になると家から逃げるように海や川へ行ったり山登りに出かけていました。またそのころは夜になると、わけもなく涙が出てくることが多くて、自分でも今の自分の状態が良くないということはわかっているものの、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。 それからしばらくして、私はいつも咳がでるようになりました。病院で咳止めをもらって飲んでも咳はまったく治まらず、悩んでいました。突然ひどい咳が続いて嘔吐してしまったり、夜中に咳がひどく出て、何度も起きてしまうこともありました。それで友人に相談したら、もしかしたら喘息かもしれないから呼吸器科に行ってみたらと勧められ、さっそく呼吸器科を受診し、気管支炎の薬を処方してもらいました。するとあんなに苦しかった咳が落ち着いてきてすごく楽になりました。ただ薬が終わるとまた症状がでてしまうので、毎日薬を飲まなければいけませんでした。薬を飲んでいれば楽なので、とりあえずはそれでいいと思っていました。 そして、しばらくすると今度は、私は顎が痛くて口がほとんど開けられなくなりました。その前から痛みはあったのですが、ご飯を食べるときにも顎が痛くて口が開かなくなってしまいました。実はそれより5年前くらいにも顎関節症で口が開かなくなり、知人に紹介してもらったカイロプラクティック院へ通って治ったことがあるので、今回も病院ではなくカイロプラクティックで治そうと思って探しました。当時通っていたカイロプラクティック院ではアクティベータを使って治療してもらっていたので、私の中では「アクティベータで顎が治った」と思っていました。なので今回も「最寄駅の沿線上でアクティベータ治療をしているカイロプラクティック院」で、検索していました。そして見つかったのが瀬田カイロプラクティック院でした。 もともとカイロプラクティックを受けていたことがあるので、施術に対しての不安はありませんでした。ただ一番最初に行ったときに私が道に迷ってしまって予約の時間よりもだいぶ遅れてしまい、すごく焦ったのですが、到着したときに瀬田先生が笑ってくれていて、すごく安心したのを覚えています。最初の治療のときに瀬田先生に「今の痛みは1〜10まででどのくらい?」と聞かれて、たしか「8くらい」と言ったと思います。とにかく口を開けようとすると激痛だったのです。ずっと口を大きく開けることができない状態だったので、「私の口は痛くて開かないんだ」と思っていました。その後、瀬田先生に両手で顎を挟まれて、「これで口を開けて見てください」と言われ、開けてみたら、驚いたことに大きく口が開いたんです。この時は本当に驚きました。ずっと開かなかったのに。今でもその時の衝撃を覚えています。すごくうれしかったから。ずっと後になって瀬田先生にそのときの話をすると、「あれは開くようにしたから開いただけですよ」っておっしゃって、私も、そうだろうなって思ったのですが、そのときの私にとっては魔法みたいでした。そして、会話の中で、私が「ご飯を食べるときに顎が痛いから口をそーっと開けて食べている」と言ったら、それを聞いて瀬田先生が「そこが問題なのかもしれない」と言いました。「顎が痛いからそーっと開けることによって自分でさらに緊張させてしまっているかもしれない」とのことでした。そしてさらに「ご飯を食べるときに痛いからそーっと開けるんじゃなくて、普段どおりに食事してみてください」と言いました。さっそくその日から言われたとおり顎の痛みを気にせず普通にご飯を食べてみると、もちろん痛みはあったんですが自分で思っていたよりは普通にご飯が食べられたのです。口をそーっと開けなくても。そして次の施術のときには痛みが1〜10のうちで「3くらい」になっていたと思います。 最初のうちカイロプラクティックには週一回くらいのペースで通っていました。とにかく顎を治したい。口を大きく開けてご飯が食べたい。思い切り大きなあくびがしたい。そんな思いがありました。 そして続けて通っているうちに少しずつ顎の痛みが気にならなくなっていきました。そして治療中に瀬田先生がいろいろ私に質問するようになりました。「何をしているときが一番痛いか」とか「そのとき自分がどんな感情だったか」など。その質問の答えを考えながら、そのときの私は、どうしてそんなことを聞くのか全く理解できないでいました。「痛いときにどんなことを考えていたかなんて、わからないし、治療と関係ないのに」と。ただ治療を続けるうちに顎の状態がどんどん良くなっていきました。その時、私はまだ、「やっぱりアクティベータ治療は治るんだ」と思っていただけでした。それで私はずっと続いている気管支炎のことを相談してみました。たぶん、そのときくらいから、自分の内面を見る作業に入っていったような気がします。でも、その時は瀬田先生と会話していても瀬田先生が何を言っているのか、ほとんどわかっていなかったように思います。まず瀬田先生が「否定的な言葉じゃなく、肯定的な言葉で」という意味がわからなかったんです。「肯定的って何?」って思っていましたから。会話をするとき、私は仰向けに寝ていて、瀬田先生は私の両足を持って長さを見ています。瀬田先生が「じゃあ、バカー!って言ってみて」というので「バカー!」って言うと、両足をそろえたときに少しズレます。「じゃあ次は、愛してる!って言ってみて」と。「愛してる!」って言うと、両足はピッタリつきます。否定的な言葉は体を緊張させ、肯定的な言葉はリラックスさせてくれるとのことでした。ただ、それでも私には、だからそれが一体何なんだろう・・・という感じで、理解することが難しかったのです。さらに瀬田先生から「イライラしたときにどうしたらいい?」と聞かれました。私の答えは「イライラしないようにする」「なんで私がイライラしているか相手に言う」「イライラしても我慢する」など、言ってはみるものの両足はピッタリつきません。私は瀬田先生の質問の意図がわらかずまさにイライラしていました。それで瀬田先生に「わからないので答えを教えてください」って言いました。すると瀬田先生は「私は長澤さんじゃないからわからないですよ」と。私はますます瀬田先生の言っていることがわからなくなりました。 結局、「イライラしたときにどうするか?」は、「リラックスしよう!」だったんです。瀬田先生が教えてくれたのか、それとも会話しながら私からその言葉を導いてくれたのかは覚えてないのですが、治療が終わったときには疲れていました。次の予約をするのも気が重くて、実際に治療に行く日になると「行きたくないな」と思っていたんです。いろんなこと聞かれるし、難しいこと考えなくちゃいけないし、わからなくても教えてくれないしと、思っていたからです。最初のうちは毎回そんなふうに思っていたのに、何故かずっと通っていたんです。いま思い出してみると本当に不思議です。行きたくなかったはずなのに。 ところが、このときした会話が、そのあと私に気づかせてくれました。その日も会社でイライラすることがあったんです。今までだったら「もう!イライラする!」と思うだけだったのですが、その時は「あ、今私イライラしている」って自分のことを客観的に見ていたんです。それに気づいたときに「リラックスしよう!」って言葉を思い出しだして、試しに「リラックスしよう。リラックスしよう。」って心の中で繰り返し言ってみたんです。そしたら、胸の中に渦巻いていた茶色いイライラのモヤモヤみたいのが、スーっとなくなっていった感じがしたんです。そのとき「あ、楽になった」と思いました。そのときはそんなに感動もなく「へぇ、そんなこともあるんだ」くらいにしか思ってなかったのですが、その日から何かあるたびに「リラックスしよう!」を繰り返すようになりました。そしてもう一つ気づいたことがありました。それは仕事をしているときに私が無意識に奥歯を噛みしめていることでした。これは今まで本当に気づかなかったです。これも「リラックスしよう!」で少しずつ治っていったように思います。思い起こせば、このときくらいから、手探りながらも自分で自分を見ようとし始めていたのかもしれません。 ある日、治療が終わって、帰り際に瀬田先生がこんな話をしてくれたことがありました。「無いものは理解できないんですよ」って。「ピンクのシロクマを想像しないでください。想像しないでくださいね。ピンクのシロクマを。」って瀬田先生は言うけど、もう私の頭の中にはピンクのシロクマが出てき来ちゃってるから、ピンクのシロクマを出さないように、他の動物・・・ピンクの猿とかを想像してみるんだけど、やっぱりピンクのシロクマが出てきます。どうやったらピンクのシロクマを消せるんだろうと悩んでいる私に、瀬田先生が「想像し『ない』で下さいって言われてもできないんです。無意識は『ない」ものは理解できないんです。」と言いました。私はそのとき初めて「無意識」について興味が湧いたように思います。普段、言葉としては使っていましたが、新しく聞いた言葉みたいな感じでした。結局そのときの瀬田先生が何の話をしているのか理解できなかったのですが、「無意識」ってゆう言葉だけが残った感じでした。 気管支炎の治療をしているときに瀬田先生との会話で、私の通っている会社のことがよく出ました。ある日、瀬田先生に「今行っている会社は,どうしても行かなきゃいけない会社なの?」と聞かれたことがありました。その時は私もすごく驚いて「会社なんだから当たり前じゃない!」って心の中で思ったのですが、そのあとすぐに「たしかに私がどうしても行かなきゃいけないってことないんじゃないかな・・・」って思うようになりました。そしたらまた体の力が抜けた感じがして楽になったのがわかったんです。そのときに「あ〜!そうだったんだ」って思って、笑っちゃったのを覚えています。 そしてそのあと、私にとって衝撃的な「気づき」に出会うことになりました。それはその年の年末年始休みに入るときでした。私はまだ気管支炎の薬を服用していたのですが、病院が休みに入る前に薬をもらいに行くのを忘れていたんです。薬が切れていたので心配でしたが、少しくらい発作が出ても家にいれば大丈夫だろうと思っていたんです。ところが年末年始休みの間、薬を飲んでないのに咳がほとんど出なかったです。私は、きっと気管支炎が治ったんだと思って喜んでいました。本当はもう薬は飲みたくなかったから。そして年が明けて仕事初めの日から数日たったころ、突然、会社でまた咳が出るようになりました。そのときにわかったんです。「会社にくると咳がでるんだ」と。もちろん今まで、家とか外とか場所は関係なく咳は出ていたのですが、このときは自分の中で「会社=咳」になっていました。そして、瀬田先生の笑っている顔が浮かんできました。また「そうなんだ〜」って思いながら笑ってしまいました。瀬田カイロプラクティック院に通ってから私はたくさんのことに気づかせてもらいましたが、一番最初の衝撃的な気づきはやっぱりこの出来事だったような気がします。そして、このときから私の考え方も少しずつ変化していったようにも思います。自分自身と向き合い始めたのも、自分の考え方を変えたいと思い出したのも、この時期くらいだったかもしれません。 また瀬田先生に対しての考え方も変わっていったように思います。私にはちょっと理解できないように感じる話しでも、きっと私にとって何か意味があるんだと思うようになったし、瀬田先生のことを少しずつ信頼してきている自分に気づき始めました。 気管支炎とはまだそれからも付き合うことになりましたが、継続的に続くわけではなく、たまに症状が出て薬をもらいにいく程度でした。そして1年後には、あんなに苦しかった発作がまったく出なくなりました。今思えば気管支炎が私に大事なことを気づかせてくれたんだなと思います。 また私は学生のときから生理痛がひどくて、必ず鎮痛剤を飲まないと立っていられないほどでした。それにその鎮痛剤も、飲んでも痛みが治まらなくなっていて以前は一日一回飲めば良かったのが、そのころには一日に三回くらい飲んでいました。生理のときは本当に気が重くて憂鬱でした。そのことを瀬田先生に相談したところ、私が中学生のときに住んでいた家が反応しました。実はそのころうちでは父が連帯保証人になって借金がたくさんありました。それで生活も大変で何回も引越しをしていて、中学生のときに住んでいた家は3年間だけしか住んでなかったんです。私はその家がなんだか怖かったんです。家に何かがいるような気がしていて。それで、生理痛の原因で、そのときの家が怖かったってゆうので反応がでたんです。そしてその解決方法は「その家に感謝する」でした。生理痛については他にもいろいろな原因があったと思うのですが、家が怖かったというのは特に印象的な原因でした。 そしてそのあと驚くことが起こりました。生理痛の治療を始めてどれくらい経ったときだったか、ある日、生理になったのにお腹が全然痛くなかったんです。これには本当に驚きました。母も私が生理痛で大変だったのを知っているので二人で一緒に驚いてしまいました。それから半年くらいは生理痛がほとんどなく、たまに痛くなったときに鎮痛剤を一回飲むくらいになりました。しばらくは生理痛があったり、なかったりを繰り返していましたが、今ではまったく生理痛がなくなり鎮痛剤を飲むこともまったくなくなってしまいました。 その頃、私はそれまでの会社を退職して、新しい会社に勤め始めていました。その会社の近くには図書館があって、昼休みになるとよく図書館で本を読んだり借りたりできるようになりました。また、顎関節症もすっかりよくなり、気管支炎も落ち着いているときが多くなり、生理痛もなくなり、とっても調子がいい状態でした。 家族とは最初のころのぎこちなさはなくなったものの、まだお互いに遠慮しあっているような感じがありました。私もまだ家にいるのが居心地悪く感じていて、週末ごとに外に遊びに行っていました。姪っ子とも最初よりは仲良くなれてはいるものの、お互いにまだ打ち解けられないでいたような気がしました。瀬田カイロプラクティック院には月に1〜2回くらいのペースで通っていました。 ある日、いつもどおりカヤックをしに川へ行こうと、朝早く家をでて駅へ歩いているとき急に足が痛くなりました。歩くたびに足がピキピキ痛くなったんです。 さっそく次の治療のときに瀬田先生にそのことを言ってみてもらいました。原因は「私が家族を置いて一人で遊びにいくので、私自身が寂しかった」でした。家にいたくなくていつも外に遊びに行っていたのに、本当は家族と一緒に仲良くしたかったみたいです。 そして、私はよく体がかゆくなっていました。一番気になるのがカヤックから帰ってきてお風呂に入っているときに腰や背中がすごくかゆくなるんです。また背中にニキビができるのも気になっていました。その原因は「姪っ子とどう接して、どう遊んであげていいのかわからず葛藤している」でした。私自身は姪っ子と遊ぶのが面倒だと思っていたのに、本当は遊んであげたかったみたいです。不思議なことに、自分の本当の気持ちは、自分が普段考えていることと、反対になっているみたいでした。 この頃は治療のとき、一つの原因が見つかるのに、まだすごく時間がかかっていました。ただもう瀬田先生に正解を教えてもらうのではなく、答えは自分の中にあることがわかっていました。ただ、その答えをだすことが本当に大変な作業でした。ただ、もう自分と向き合うことの大切さに気づいていたので、気は重かったけれども、この治療をやめたいと思うことはなかったです。答えを見つけようとがんばっていたように思います。 瀬田先生がこんな話をしてくれたことがありました。「やだなって思ったときに、どうしたら楽しくなれるか自分に問いかけて考えてみるといいですよ。周りの人じゃなく自分が楽しい、こうしたいって思う方法があるから。大切なのはその時自分が楽しいかってこと」だそうです。この話を聞いてから自分で「今、私は楽しいかな」って聞くようになりました。今まではもしかしたら周りに合わせて、楽しいふりをしていることもあったようです。大切なのは「自分が楽しむこと」だったんです。 そしていつの間にか、瀬田カイロプラクティック院へ通い始めて1年が経っていました。たまに生理痛があったり、咳が出たりはしますが、そうゆうときは何かあると思って瀬田先生にみてもらいにいきます。瀬田先生の治療方法(ニューロパターンセラピー)にもだいぶ慣れてきて原因の感情や考え方を見つけやすくなってきました。少しずつ自分の思考パターンがわかってきて、考え方のクセのようなものがわかってきていました。 ある日、会社の近くにある図書館で何気なく本棚を見ていたときに、ふと一冊の本を手にとってパラパラ見てみました。そこには、「『ない』ものは『ない』」と書かれていました。私はすぐに以前瀬田先生が言っていたピンクのシロクマのことを思い出しました。そのときは理解できなかったのですが、この本に同じことが書いてあると思って驚きました。さっそく借りて読んでみました。その本は石井裕之氏の本で「意識」と「無意識」についてなど、とてもわかりやすく書かれていました。「ない」ものばかり意識して思い悩んでいても「ない」ものは「ない」から自分ではどうすることもできない。「ある」ものを意識して大きくしていく方がいい。というようなことが書いてあって具体的な考え方の例なども書いてあり、私にとっては本当に勉強になりました。そして瀬田先生がいつも言っていることと同じようなことが書いてあったんです。それから石井裕之氏の他の著書も読むようになりました。すると、瀬田先生の言っていることがだんだん理解できるようになってきたんです。「あぁ!瀬田先生はこうやって治療しようとしていたんだ!」と思いました。今までは、治療のときだけ、瀬田先生の言われるとおりに考えて答えていただけだったのですが、その時から、普段、自分がどうゆう時にどうゆう考え方をするのか、少しずつ自分の感情を積極的に観察するようになりました。そして本にはこんなことが書かれていました。「自分に起こることは、良いことも悪いこともすべて自分の責任なんだと。」「何か出来事が起きたときに、それを「良いこと」「悪いこと」と判断しているのは自分なんだと。」石井裕之氏の著書は私にとって本当に目から鱗でした。 その時から私は本をよく読むようになりました。すごく不思議なのですが、瀬田先生の話でちょっとよくわからないことがあると、図書館でたまたま手にとった本に同じような内容のことが書いてあって、そこで瀬田先生の言っていたこともわかったということがよくありました。なんだか本が私の味方になって教えてくれているような気がしていました。本を読み始めていくうちに、治療のときに瀬田先生が言っていることがだんだん理解できるようになってきました。そして瀬田先生が何かを言う前にそれを考えることができるようになりました。それで、それまでは一回の治療で1〜2個しか見つからなかった原因が、だんだん増えていきました。その時の治療方法は、症状をイメージしながら、原因の感情を見つけて、それが見つかったら、原因の感情を肯定的な感情に切り替えるでした。緊張する感情からリラックスする感情にします。 私はその頃よく週末にカヤックスクールに通っていたのですが、なかなか上達しなくて、練習中に足がしびれたりしていました。瀬田先生に治療してもらうと、「カヤックの先生」で反応がでました。どうやら私は「先生にいい所を見せたい。褒められたい。認められたい」と思っていたようでした。そう思うと緊張してしまうのです。なのでそれを「自分で思い通りにカヤックを動かしたいから」「褒められるためじゃなく自分の上達のためにやっている」と考えると、リラックスすることがわかりました。治療のときに探る「原因となっている深い感情」は実は最初のうち見つけるのが本当に大変でした。「人にいい所を見せたい」「褒められたい」「認められたい」なんて、恥ずかしくて人には言いたくない感情だったからです。またそんなふうに思っている自分を認めたくない気持ちがありました。でも自分で認めないままだと、治療が先に進まないし、瀬田先生も私が見つけるまでずっと待っているので、最終的には自分で言うことになりました。自分で自分を見つめる作業は慣れるまで本当に大変でした。 私が2009年から瀬田先生に治療してもらった内容を少しずつ書き留めておいたのがあります。最初のうちは書いていないことも多く、所々抜けているところもありますが、それをここに書いてみようと思います。
【2009年4年20日】
このころ、自分が「〜しなくちゃ」と考えていることが多いことに気づきました。 初めての人に会うときに「何か話さなくちゃ」とか、何かをするときに「うまくやらなきゃ」「失敗しないようにしなきゃ」と考えているようです。普段の会話の中でも「行かなきゃ」「食べなきゃ」「こうしなきゃダメだ」という言葉をよく使っていることに気づきました。そして「〜しなくちゃ」と思うと緊張することを教えてもらい、それから少しずつ「〜しなくちゃ」という言葉を、「〜しよう」「〜した方が良いね」に変えていくようになりました。 また人と会話しているときに、人に向かって言っていた言葉が実は自分に向かって言っていたんだということにも気づきました。 【2009年6月8日】
瀬田カイロプラクティック院へ通うようになって自分の考えがどんどん変わっていって、自分自身も本当に楽になった気がしていました。そしてあるとき、瀬田先生に4つの言葉を教えてもらいました。テレビで悪いニュースを見たり、友達とのおしゃべりの中で気分の良くない話を聞いてしまったときに「ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています」と言うと大丈夫になるそうだと。それで自分でも心の中で言ってみたんですが、いまいちピンとこなくて、その時はその言葉のことはあまり考えてなく、あまり使ってみようとも思っていませんでした。 【2010年1月31日】
【2010年2月22日】
【2010年3月2日】
このころ、兄が仕事で毎日夜遅く帰ってくる日が続いていました。朝も早く出かけて土日も仕事へ行くこともありました。その間、姪っ子の面倒を母と私で見なければならないし、兄と姪っ子との間にも親子の交流がほとんどなくなっていました。私はその兄の態度に不満を感じていましたし、そんな兄に何も言えないでいる母にもイライラしていました。以前の私だったら、とっくに爆発して兄に文句を言って責めていたと思います。そのとき私はある本の中でこんな言葉を覚えていました。それは「人を変えることはできない。ただ、自分が変わることで人が変わることがあるかもしれない」ということでした。ただ、どうやって自分が変わればいいのか具体的にはまだよくわかっていませんでした。わかっていることは、ここで兄に自分の不満をぶつけるのはお互いに良くないことだということだけでした。しばらくは我慢の日々が続いていました。 そして瀬田先生に治療してもらったときに、兄のことで反応がでたのでそのことを相談してみました。瀬田先生が私に言ったことは「それは話し合いをするチャンスなのかもしれないよ」ということでした。私は「相手には言っちゃいけないんだ」と思っていたので、瀬田先生の言葉に驚きました。ただ話し合いをするときには順番があるんだと、教えてくれました。まず自分の気持ちを言うこと。そのあと相手に、こうして欲しいことを言う。最初に自分の気持ちを言うことが大切なことだそうです。その日の治療で実際に兄に向かって順番どおりに気持ちを伝えている自分をイメージして反応を見てもらいましたが大丈夫そうでした。その日家に帰ってから、いつ兄に話そうかと悩んでいましたが、思いもよらずその翌日にチャンスが訪れました。朝、家族全員が集まっていました。私はすごく緊張してドキドキしていましたが、瀬田先生に教えてもらった順番どおり話をすることに集中していました。まず兄がいつも仕事で家にいないことでみんな寂しいと思っていること。それで不満な気持ちもでていること。寂しがっている姪っ子を見るのがつらいこと。それで、平日に仕事で遅くなることについては協力して姪っ子の面倒は見るから、土日は仕事に行かず家で姪っ子と一緒に過ごしてほしい。そんなことを兄に言ったと思います。そして家族みんなに、これからは普段から自分がどう思っているのか、自分の気持ちをお互いにちゃんと相手に伝えるようにしようと、そんな話をしたのを覚えています。話をしながら私は感情的になってしまって、泣いてしまったのですが、自分の言葉に文句や不満や相手を責めるように言葉がないように気をつけていたのを覚えています。兄は黙って私の話を聞いてくれました。母も私のしていることを見守ってくれていたようでした。 それから兄は平日は遅くなるものの、土日は仕事へ行かず家にいて姪っ子と一緒に過ごしてくれるようになりました。あの時の感覚は今でもよく覚えていて思い出すとまだ涙が出そうになります。すごく緊張していたけど、家族が家族になれるように、なんとか今の状況を変えたいと思っていたし、自分自身も変わっていくきっかけになったような気がします。 【2010年3月9日】
【2010年3月12日】
このころ、瀬田先生にホ・オポノポノの本を教えてもらいます。以前教えてもらった4つの言葉「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」のことが、この本に書かれていたのです。この本を買って読んでみて、この4つの言葉の素晴らしさをやっと理解しました。それまで瀬田先生にも教えてもらっていましたが、よくわかっていませんでした。そしてこの本を読んでからはこの4つの言葉を心の中で日々繰り返すようになりました。そして「自分の感情に責任をもつ」ということを教えてもらいました。イライラしたり嫌な気持ちになったとき、そうゆう感情になったのは誰のせいでもなく、それはすべて自分の責任であるということ。なんだかすべてが自分の責任と思ったら、すごく楽な気持ちになっていました。自分のことは自分でコントロールできるんだと思ったんです。 このときには私の母も瀬田カイロプラクティック院に通っていました。母は右足の股関節が変形していて歩くとき、とても痛そうでした。また母は若いときから頭痛、肩こり、胃痛などいろいろな症状を長年持っていました。私が小さかったころ、生活が大変だったこともあり、母はいつも何かに怒っていてイライラしているように見えました。私はもっと母に甘えたい、優しくしてもらいたいと思っていました。でも小さいころの記憶はいつも怒っている母しかありませんでした。そして私が大人になって母が年を重ねてくると、私が母を守らないと、と思う反面、私の方が母によく文句を言ったり怒ったりするようになりました。普段は仲が良くても些細なことで母に文句を言うことが多くなって、母もそれに対して言い返すことができず、お互いにイライラしていたように思います。 しかし、私が瀬田カイロプラクティック院通い始めてから、顎関節症が治り、気管支炎が治り、生理痛までなくなったのを見て、母は本当に驚いていました。なにより、私の性格が少しずつ変わっていくのを母が一番感じていたようです。最初に母に瀬田カイロプラクティック院にを紹介するときには、痛みの原因を自分の内面から探していくので、母が受け入れてくれるかどうか不安でしたが、とまどいながらも通うことにしてくれて安心しました。母と一緒に通うようになってから、お互いどんな治療をしたとか、瀬田先生との会話のことなどを、家でよく話すようになりました。もちろんお互いに言っていることが受け入れられずに衝突することもたくさんありましたが、いつも最後には母が折れてくれていたような気がします。私はその時も母を変えようと思っていたようです。人を変えることはできないとわかっているつもりでしたが、本当はまだまだわかっていなかったようです。私にとって、母も「先生」だったようです。 そして驚いたことがありました。ホ・オポノポノの本を母にも見せたとき、母はすぐに読んで、「この本すごくいいわね」と言ってすぐに受け入れたことです。そしてすぐに実行していました。私は母との関係が少しずつ良くなっていくことがとてもうれしかったです。 【2010年4月2日】
この頃になると、自分の内面を見つめることに慣れてきて深い感情も探りやすくなってきました。自分の思考パターンにも気づいてきて以前に比べて治療がスムーズに進むようになっていました。私はいつも「人から認められたい、褒められたい、受け入れられたい」と思っているようです。普段の生活でも自分で「今自分はこうゆう感情になっているから、それを肯定的にするにはこうやって考えよう」と考えるようになっていました。たとえば、何かをしようとするときに「いい所を見せたいからうまくやらなきゃって思ってる」と気づいたときには「うまくやるよりも、自分が楽しんでやるようにしよう」と考えるようします。それで、うまくいっても失敗しても、自分は楽しかったからOKなんです。そうやって自分の心を観察するようになりました。今でもそうですが、時には感情的になって暴走するときもあります。そうゆうときは自分が居心地悪くなるのを感じるので、「次は気をつけよう」と思うようにしています。自分で気づかない感情があったときには、体に痛みやかゆみなどの症状が出で教えてくれるので、本当にありがたいです。 【2010年4月10日】
【2010年5月14日】
【2010年10月1日】
【2010年10月18日】
【2010年10年29日】
これまでは原因の感情が見つかったら、それを肯定的な考え方に変えていく方法だったのですが、このころから、原因の感情を「認める」という作業をするようになりました。私自身は肯定的な考え方に変える作業にもう慣れていたので、以前のように大変ではなかったのですが、ただ「認める」だけになって、はるかに楽になりました。 【2011年2年10日】
【2010年2月23日】
【2011年2月28日】
【2011年3月3日】
【2011年3月7日】
この頃はちょうど花粉症の時期で、今年は薬を飲まないで治したいと思っていました。自分では気づかなかったのですが、花粉症と戦っていたようです。結局、症状が治まらず鼻づまりも目のかゆみもひどかったので、耳鼻科で薬をもらいに行くことにしたのですが、その時に母に、「ずいぶんがんばってたね」と言われました。それを聞いて、自分ががんばりすぎてたんだなぁということに気づきました。自分のことって本当に自分でわからないんだなぁと思って笑ってしまいました。でもこのことはとてもいい勉強になってようです。私は何かを始めると夢中になってしまい、やりすぎてしまうことが多いようです。これからはがんばりすぎているときには、早めに気づいてあげられるといいなぁと思います。 【2011年6月1日】
治療していておもしろいなと思ったのが、普段自分が気になっていることや思っていることがあって、それを治療のときに話しても緊張の反応が出なくなっていました。瀬田先生に聞くと、「自分で気づいて認識すれば大丈夫になるんですよ」とのことでした。私はこのころ、仕事や人との付き合い方で悩んでいたことがあったので、それが症状の原因だと思っていましたが、それは大丈夫だったのです。自分で気づいてあげるだけで緊張がなくなるなんて本当にスゴイなぁと思いました。またそのことを教えてもらった自分はなんてラッキーなんだろうと思いました。そしてもう一つおもしろいと思ったことが、治療中に自分ではまったく意識していなかったことが、原因の感情に出てくることでした。そうゆうときは自分ではどんなに考えても思い当たることがなくて途方にくれてしまいそうになります。そうゆうときは、「そんなの無い」とか「考えてもわからない」と思うのではなく、「きっとあるんだなぁ」と思いながら考えます。そうすると、ちゃんと出てきてくれるみたいです。ただどうしても出てこないときは瀬田先生がヒントをくれます。瀬田先生のヒントは本当に的確で、私のことを私以上にわかっているんじゃないかと思うときがあるほどです。 【2011年7月1日】
【2011年8月31日】
この日、瀬田先生に、「私が最近、自分の中で会話をしていてそれでよく葛藤している」という話をしました。すると、「葛藤していいんですよ」と言ってくれました。葛藤すると受け入れることができるそうです。ただ私の場合、人と話すときに、ちゃんと考えてから話そうとすると緊張するみたいでした。今の私は、以前の私とは考え方が180度変わっていたので、自分でどう考えたらいいのか、どう行動したらいいのか、とまどっているような感じでした。そして私は以前から「人からの評価を気にする」というクセがあるようで、今でもそうゆう自分に気づくことがあります。本当は人からの評価を気にせず、自分の言いたいことを言って、やりたいことができたら、きっと楽しいのにと思っているのですが、どうしても「人からどう見られるか」を、気にしているようです。瀬田先生がおっしゃるには、それを自分で受け入れているから大丈夫とのことでした。だんだん、なりたい自分に近付いていけるそうです。私もそうなれたら本当に楽しくて幸せだなと思います。 瀬田先生と話をしていると、自分が思い悩んでいたことが、あっという間に楽になってしまうことがよくあります。私はよく自分で「これをやろう」と決めて実行しようと思うことがあっても、なかなか実行できずにがっかりすることがあります。瀬田先生は話をしながら私の両足を合わせて反応を見ているのですが、「緊張してないし、それは実行しないことを望んでいるんでしょう」とのことでした。まだ実行するスイッチが入っていないだけで、ちゃんと自分で好きな方を選んでいるようです。それまでは、自分で決めたことができない自分にがっかりしていたのですが、それを聞いて、「なんだ、これでいいんだ」と思って笑ってしまいました。それからは実行しなかったことがあっても、自分が選んだ方を信じてあげることにして、今ではもうそのことで思い悩まなくなりました。 【2011年10月19日】
【2011年10月25日】
私が瀬田カイロプラクティック院へ通うようになって4年ほど経ちました。4年前の自分と比べてみると、体調も考え方も、驚くほど変わったと思います。もちろん、それまでの考え方がすぐに変わったわけではなかったです。ただ「考え方を変えた方がいいみたいだ」と気づいたときから、私だけでなく、周りの状況までもが少しずつ変わっていったようでした。 自分を変えるために、私がまず具体的にやってみたことがあります。これはその時に読んでいた本に書いてあったことなんですが、「『でも』を使わない」でした。誰かと話をしているときに、「でも」を使うと無意識に否定された気になるそうです。「でも」を使わないと会話の流れがおかしくなってしまうときもあるんですが、それでも「でも」を使わないようにしていたことがありました。ただそれだけのことだったのですが、その頃の私は本当に真剣に「でも」を使わないようにがんばっていたようです。あとは否定的な言葉を使わないというのも気をつけていまいた。自分が話す言葉が文句やグチになっていないかを気をつけていたのです。誰かと話すときに、というより、自分の口から否定的な言葉を出さないように気をつけていました。そうしているうちに気づいたことがあったんです。否定的な言葉や会話をしないように気をつけていると、誰かと話しているときに、自分が話すことがなくなってしまうのです。言葉で出す前に頭の中で否定的な言葉や文句やグチが入ってないか確認してから話すのですが、それに気をつけていると話すことがなくなってしまうんです。その時に、今まで自分がどれだけ否定的な言葉を使って会話をしていたのか、ということに気がつきました。ただ、その時はそれが否定的な言葉だとは思っていなかったというのもあったようです。自分では、文句やグチを言っているわけではなくて、ただその状況を説明しているだけだとか、ただその事実を話しているだけだと思っていたからです。そんなことに気づいてから、私はだんだん口数が少なくなって会社でもあまり話さなくなったようでしたが、自分自身はなんとなく楽なような気がしていました。 あと、他にも実行していたことがあります。これもある本に書いてあったことだったんですが、「必ず玄関の靴をキレイに並べておく」でした。それまでは私自身が靴を脱ぎ散らかしていたのですが、何も言わずに、必ずみんなの靴をキレイに並べることにしました。ただそれだけのことを毎日真剣にやっていました。そしておもしろいことに、今では家族みんなが玄関で靴を脱ぐと、自分の靴をキレイに並べるようになったんです。 あとは、「なるべく急がないようにする」ということも意識していました。信号が赤に変わりそうなときも走らないで次の青を待つとか、ホームに電車が来ていても走らないで次の電車を待つとか。そんなことをしていました。 今ではもう、そうしたことを意識してやることはなく、会話のなかでも、『でも』をちゃんと使っています。ただ、当時はけっこう真剣にやっていたようです。今思い出してみると、「変わろう」と思って必死だったのかもしれません。いろいろな本も読んで、具体的に自分でできそうなことがあれば、やってみたりもしていました。瀬田先生に教えてもらった「ホ・オポノポノ」もそうでした。4つの言葉を繰り返しているだけで、なんとなく自分も周囲も良い方向へ進んでいっている感覚がありましたし、不思議とこれで大丈夫という安心感があるようでした。いろいろな本を読んでいるうちに、結局自分がどうゆうふうに考えるのがいいのかわからなくなってしまったこともありましたが、それでも本との出会いはとっても貴重だったように思います。とくに瀬田先生が言っていたことが、よくわからなかったときなど、たまたま手にとった本にそのことが書いてあって理解できた、ということもけっこうあって、おもしろいなぁと思っていました。 自分を変えるということは、それまでの自分の「考え方」を変えることになると思いますが、そう思ってもなかなか変えられるものではないと思います。私の周りでも、今の自分が嫌で自分を変えたいと思っているけどなかなか変われないという話を聞くことがあります。変えようと思っても具体的にどうしたらいいのかわからないと思います。私の場合はその具体的な方法があったので実行していくうちに、どんどん良い方向に進んでいったようです。それは先ほどの、「『でも』や文句、グチを言わない」「靴をキレイに並べる」「急がない」この三つだけでした。それも、そうすれば変われるという確信があったわけではなく、本にそうやって書いてあるし、これくらいなら出来そうだし、おもしろそうだからやってみようかな、くらいな気持ちだったと思います。本当にこれで変われるとは、もしかしたら思ってなかったのかもしれません。ただ、そうしているうちに、少しずつ自分自身が楽になって、なんとなく周囲の状況も良くなってきて、気づいたときには、以前とはまったく違う考え方をするようになっていた自分がいました。私は本当にラッキーだと思います。 それと、私が変わることができた一番のきっかけはやっぱり瀬田先生との出会いだと思います。それも私が顎関節症や気管支炎になっていなければ瀬田先生のところまでたどり着けなかったと思いますし、自分を変える方法もわからなかったと思います。そう考えると、その時はひどく憂鬱だった顎関節症や気管支炎に「ありがとう」と言いたい気持ちになります。また花粉症や生理痛など、体に出るいろいろな症状が私にいろいろなことを教えてくれたことを思うと、すべて私のためにあったように思うときがあります。そう思うと、私が変わることができたのは、「きっかけ」と「とりあえずの具体的な方法」だったようです。 治療をしていてよく驚くことがありました。それは、「自分の本心は、普段自分が思っていることと反対のことが多い」ということでした。例えば、私はずっと結婚なんてしたくないと思っていたのですが、実際は結婚したいと思っていたようです。それを教えてもらったときは本当に驚きましたが、それを認めると自分が楽になるようでした。あと、私は、ある人が苦手でなるべく近付かないようにしていたのに、実際はその人としゃべりたいと思っていたとか、でも勇気がなくて話しかけられないとか、いろいろありました。けっこう自分のことは自分ではわからないようです。 瀬田先生に教わったことはたくさんありますが、私にとって一番楽になれたのが、「受け入れること・認めること」の大切さを教えてもらったことです。もちろん周囲に対してもそうですが、自分自身を受け入れること、認めてあげることが大切なようです。いいことも悪いことも全部受け入れてあげることが出来たらいいなぁと思います。そういえば前に読んだ本の中で、「世の中で起こることで悪いことは一つもない。あるとすれば、『それは悪いことなんだ』だと思う心が、あなたの中にあるだけだ」と、こんなことが書いてあるのを読んだことがあります。私はそれまでテレビなどで良くないニュースが聞こえるたびに憂鬱な気持ちになってしまって、そうゆう情報を聞かないようにテレビを見ないようにしていたのですが、今では憂鬱なニュースが聞こえてくると、「今、私はそれを『悪いこと』だと思っているんだな」と考えるようになりました。そうゆうふうに考えると、良くないニュースに緊張しなくなるような気がするようです。 また、変わったのは、私だけでなく一緒に瀬田カイロプラクティック院に通っていた母も変わりました。母は病院で股関節変形症と言われ、手術を勧められていたのですが、今ではすっかり痛みがなくなってしまったようです。以前、母は瀬田先生に、「変形しているから痛いとは限らないんですよ」と言われたとき、「そんなことない」と言っていましたが、だんだん足の痛みがなくなって体調もよくなっていく自分自身をみて、「変形しているから痛いんじゃなかったのね」と言っていました。また、母は昔からひどい肩こりで、ちょっと買い物を持ったり、本を読んだり、編み物をしただけでも肩がこったと言って、大変そうでした。そして頭痛もひどくて、家でもよく寝込んでいたことがあるほどでした。それが今では買い物へ行って平気で荷物をたくさん持って帰ってくるようになり、肩こりがほとんどなくなってしまったようです。趣味の編み物もできるようになったり、それまで苦手だった料理も楽しそうにするようになりました。私が小さいころの、「いつもイライラしていて怒っているお母さん」のイメージは今ではまったくなくなり、いつも余裕が感じられるようになりました。以前のように母と言い争いをすることも少なくなり、お互いにすごくゆったりした気持ちで話ができるようになりました。母と私とでは、考え方が違うところも多いのですが、それをお互いに認め合って、それをネタにして笑い話にすることができるようにもなりました。母はわりと言葉をストレートに言うタイプなので、以前は母に言われたことで私が怒って言い返していましたが、今では母に言われて「嫌だなぁ」と思ったときには、「今、お母さんにそう言われて、ちょっと嫌な気持ちになったんだよ」と、落ち着いて母に伝えることができるようになりました。相手を責めたり、自分の考えを押し付けて相手を変えようとするのではなく、大切なのは自分の気持ちを相手に伝えることなんだということを教えてもらったようです。母はときどきどこか痛くなったり体調が悪くなったときに、その原因を自分の中で探っているようです。何をしてるときに痛いか、痛いとき何を考えていたかなど、自分で考えるそうです。それで、「ああ、これかな!」と自分で見つけると、痛みがなくなるときがあるそうです。それを自分で楽しんでいるようでした。 また、以前こんなことがありました。その日は母と話をしていて、だんだんお互いに譲らなくなってきて、私が母に文句を言っていたんです。母もだんだん面倒になってきたのか、もう話すのを辞めてしまいました。そしてその翌日、母は昨日の私とのことを思い出しておかしくなって一人で笑っちゃったそうなんです。そしたら突然、視界が広がって明るくなったそうです。それまで母は眼鏡こそかけてなかったものの、自分では「目が悪い」と思っていたそうです。それがすごくよく見えるようになったと言って喜んでいました。母は、「あまりにもうれしくて瀬田先生に電話しようと思ったくらい」と言っていました。そしてさらにおもしろいことに、それから母の体調が少し悪くなりました。瀬田カイロプラクティック院へ行って診てもらったところ、「喜びすぎ」だったそうです。それを聞いて、母と一緒に笑ってしまいまいた。実は私もその前に瀬田先生に診てもらったときに、「今が幸せすぎる」「うれしすぎる」「こんないい状態がずっと続くのか」などで反応がでたので、もしかして母もそうかもしれないと思っていました。それからは母も私も、何かうれしいことや楽しいことがあって、自分が高揚しているときには「私、今すごく喜んでいるな」「私、今すごくうれしがっているな」と、自分で確認するようになりました。母とこんなに居心地の良い関係になれるなんて以前の状態の時には想像もしていませんでした。私の中ではずっと、「小さいころに母に優しくしてもらえず、いつも怒られていた」という気持ちがあって、もしかして母を恨んでいたのかもしれないと、ずっと後になって思いました。でも母の子供のころの話を聞くと、母もまたそうやって子供時代を過ごしていたそうでした。母の子供の頃は戦後の大変な時で、甘えることなどできなかったそうでした。母もまた辛い思いをしていたんだなぁと思いました。母は自分の母(私の祖母)との関係についても、ずっと悩んでいたのですが、今ではその関係も以前よりは居心地良くなっているようです。 最近母とよく話すことは「瀬田先生と会えて本当によかったね」ということです。もし以前のままでいたら、私は家族とわかりあえないまま、とっくに家を飛び出していたかもしれません。そしてうまくいかない現状をすべて周りのせいにして、自分で自分を、もっと大変な状況に追いやっていたかもしれません。「そうならなくて良かった」と心から思います。 兄や、姪っ子との関係も今では本当に良くなりました。特に今9才の姪っ子は私にとっては「先生」です。姪っ子が私に反発するとき、私の言うことを聞いてくれないときがあります。以前の私だったらイライラして怒っていました。今考えてみると、それは私が嫌いだった母と同じことをしていたようでした。あんなふうになりたくないと思っていたはずなのに、自分が同じことを姪っ子にしていたようです。 そういえば、母もよく祖母のことを「おばあちゃんのこうゆうところが嫌なのよ」と言っているとき、母も、自分が嫌だと言っている祖母と同じことをしているときがあるのです。それを母に言うと、もちろん母は「そんなことない」と言って少し怒りますが、そのあとで「そうかもしれない」と自分で考えているようでした。 姪っ子との関係は、年々、良くなっていったように思います。まず、大きな声で怒ったり叱ったりする必要はないんだ、ということがわかりました。何か失敗したり、悪いことをしたり、間違ったことをしたときには、ただ静かに教えてあげればいいんだということがわかりました。それもなるべく否定的な言葉ではなく肯定的な言葉で。子供が素晴らしいと思うのは、肯定的な言葉だとすぐに受け入れてくれるということでした。否定的な言葉だとどんなに大きな声で何回も言っても、聞いているのか聞いてないのかわからないのに、肯定的な言葉だとボソッと言っただけでちゃんと聞いているんです。例えば、「こうしたら危ないからダメだよ!」ではなく「これはこうすると安全だよ」にする。「熱いから触っちゃダメだよ!」ではなく「熱いから気をつけてね」にするとか。姪っ子は料理が好きで、よく台所のお手伝いをしたがります。その時に包丁で指を切ったり、炊飯器で火傷したこともありましたが、それを自分で体験したことで、どうすれば危険で、どうすれば安全なのかを自分で判断できるようになるようです。今では台所に立つ姿がずいぶん頼もしくなりました。危ないからやらせないのではなく、どうすれば安全なのかを教えてあげるほうが本人もうれしいようです。そうして私が肯定的な言葉を選んで使うようになってから、姪っ子が私の言うことをよく聞いてくれるようになったようです。そしてその頃から、私と姪っ子との間にも信頼関係が少しずつ出来てきました。姪っ子が私に反発するとき、それは姪っ子が悪いのではなく、私自身に何か問題があるんだと思うようになりました。それを姪っ子は私に教えてくれているんだと。自分の身近にこんなに素晴らしい先生がいるなんて私は本当にラッキーだと思います。最初、兄が離婚して姪っ子を連れてうちへ来たときには本当に嫌だったのですが、もしかしたら二人は私を成長させてくれるために来てくれたのかもしれません。兄のこともあまり好きではなかったのですが、兄もまた私の「先生」になってくれていたようです。 そう考えると、自分と出会う人、自分と関わりのある人、みんなが私の「先生」なのかもしれません。スーパーで店員さんに文句を言っているお客さんを見たとき、小さい子供を怒鳴っているお母さんを見たとき、電車の中で不機嫌そうな人を見たとき、前を歩いていた人がタバコをポイ捨てしたとき、などなど。そんな日常の小さな出来事も私にとってはきっと何か意味があって、何かを教えてくれているだと、思うことがあります。 また、私は以前、自分が瀬田先生の治療で体調がすごくよくなったので、それを周りの人達にも教えてあげたいと強く思っていたことがありました。特に会社の同僚で、肩こり、腰痛、頭痛、胃痛などの症状を持っている人が多かったからです。ただ瀬田先生の治療を言葉で説明するのが難しかったし、みんな、話は聞いてくれるものの、なかなか受け入れてもらえてない感じがあって、どうしたらわかってもらえるのか思い悩んでいたときがありました。今から思えば、その時の私もまた、相手を変えようとしていたようでした。私がそんなにがんばらなくても、その人にとって必要な時期に、必要な方法がきっとやってくるんだろうと思うようになりました。 私は先月で、それまで働いていた会社を辞めて、まだ仕事はせず家で過ごしています。以前の私だったら、「早く仕事を探さなくちゃ」「働かなくちゃ」と思っていたと思うのですが、今は何故か、まだ働かなくていいかなと思っているようです。それが良いのかどうかはわからないのですが、今はそれが心地よいようです。 瀬田先生の治療は以前に比べるととても楽になりました。瀬田先生がいろいろな治療方法を取り入れていれてくれて、はるかに治療が受けやすくなったようです。これからも治療がどんなふうに進化していくのかも楽しみですし、自分自身もどう成長していくのかを楽しんでいきたいと思います。 |
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